ナフナフのフランス旅行:ルーヴル美術館2

ルーヴル
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左上 「メデューズ号の筏」テオドール・ジェリコー1819年の作:フリゲート艦メデューズ号がセネガル沖で遭難し、149人の遭難者が筏で12日間、漂流した時の様子を表しています。実は救助に向かった軍艦アルギュス号が筏を見つけられず遠ざかっていき、筏に乗っていた15人が絶望した場面を描いています。幸いにもアルギュス号は舞い戻り救われると言う話です。

右上 「民衆を導く自由の女神」ユジェーヌ・ドラクロワ1830年の作:1830年7月28日の7月革命を描いていて、この革命は「栄光の3日間」と呼ばれ、シャルル10世の専制政治から、ルイ・フィリップ王による議会君主制へと変わる革命であり、自由を求めるドラクロワのロマン主義への意識の現われだとされています。

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メディシスの間。ピーテル・パウル・ルーベンスの描く全24点を配置した部屋で、荘厳さと威圧感とで圧倒される素晴らしさです。制作期間は1622年から1625年で、大作としてはわずかな期間で描きあげています。
絵の主人公、マリー・ド・メディシスはフィレンツェのメディチ家の出身でアンリ4世の妻でありルイ13世の母です。彼女は皇太后の頃、リュクサンブール宮殿に住んでいて、自分の生涯を題材に連作を注文したとされています。
ここでは24枚からその一部を紹介します。
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左上 「アンリ4世の神格化とマリー・ド・メディシスの摂政宣言」と言う題が付けられています。連作24枚の中でも中心的な位置にある一枚だとの事。1610年のアンリ4世の暗殺事件を題材に、絵の左側でアンリ4世の昇天を表し、右側で未亡人となった王妃マリー・ド・メディシスが摂政宣言を行っている場面だとの事です。
その後、権力を身につけてしまったマリー・ド・メディシスはその欲から逃れることができなくなり、息子ルイ13世によって王宮から追放される運命に至ります。あ〜、恐ろしい。庶民にはわからない感覚ですね。
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左 Ludolf Backhuysen (Bakhuisen):オランダの画家で、帆船をモチーフにした多くの絵画を残しています。
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左 「レースを編む女」ヨハネス・フェルメール:これってすっごく小さいキャンバスです。何気なく展示してあるのでもう少しで見逃すところでした。


左下と右下 ピラミッドの地下のエントランス部分で、2つのウィング(DENON と RICHELIEU)への入口が向かい合わせに並んでいます。実はナフナフはルーヴルの中で迷いました。と言うのは DENON から SULLY を通って RICHELIEU に行けるものだと思っていたので、一生懸命通路を探しました。しかしどうしても行き止まりなどで行けません。仕方がなくスタッフに尋ねると、『一度出て、入りなおす』との事。それが、この写真の場所なのです。
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上の写真はチケット売り場の様子です。ピラミッドの下、地下にあるチケット売り場です。右上はチケット売り場に掲示されているパネル。15時以降に入ると安くなるんですね。でもナフナフは他の美術館にも入館できるカルト・ミュゼ (Carte Musee)で入りました。

ピラミッドの中から外を見るとこんな感じですね(右の写真)。

抜粋して紹介しましたが、ルーヴルの中には莫大な量の美術品があって、半日見学するだけでかなり疲れます。という事で、ルーヴル美術館の紹介、今回はここまでにしておきます。
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